決して避けて通れない「親との別れ」

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アラフィフ世代は人生のステージが変わり、これからの人生について考えることが増えていく時期。

その中でも考えるのは・・・命のこと。

命あるものは必ず絶えるときがくる。

決して避けて通れないのが「親との別れ」

親との別れが近いと知った時、あなたは何を感じるでしょうか?

どのように受け止め、行動していったらよいでしょうか?

誰もが通る道だけれど、普段なかなか考える機会って少ないと思います。

今回、自分の父親の死を通して感じたことを、緩和ケア病棟で看護師として多くの患者さん・ご家族との関わってきた中でのわたしの思いもプラスして、綴っていきたいと思います。

目次

「親との別れ」誰もが通る避けられない道

日本では、死の話をすることはタブー視されることが多いです。

「生きてるうちに死ぬ話をするなんて縁起でもない」と避けられがちです。

わたしは看護師をしていること、緩和ケアで働いていた時期もあり、多くの方の最期の場面に関わらせて頂きました。

その経験があるからこそ、やはり本人の意志を大切にしたいと思い、両親とも何度か「どう過ごすか?最期はどうしたいか?」という話あう機会を意識してきたつもりでした。

父が認知症に・・・

父は、6年程前にアルツハイマー型の認知症の診断がつきました。
だんだんと家での生活が困難となり、やがて入院。
そして数年前に介護老人保健施設に移りました。

老健に移る頃には、認知力がかなり低下しており、話はできるものの、家族のことはまったく覚えていない状況でした。

入院中に、コロナ禍となり面会がまったくできないこと、行動制限がかかったことで、一気に認知が進んだことが考えられます。

老健入所後は、下肢の筋力低下から、転びやすくなっていましたが、なんとか自分で歩いてトイレには行けており、日常のことは、見守りのもとある程度は自分でできていたようです。

1年ほど前から、活動量が低下し、飲んだり食べたりすることを拒否することが増えていきました。

もともと甘いものが好きだったので、大好きだったジュースを介助で数口飲めることもありましたが、だんだん嚥下機能も低下していき、むせることが増え、誤嚥性肺炎を発症し緊急入院となりました。

読者さん

誤嚥性肺炎ってよく聞きますね…

肺炎の治療自体は1週間程度でおわり、症状は安定しました。

急性期の病院には長く入院できないため、すぐに退院の話が出ました。

ソーシャルワーカーさんと退院後の相談をし、現状では施設での生活はもう難しい状況だったため、看取りまでの対応を行ってくれる病院へと転院することにしました。

コロナ禍ということもあり、面会制限がとても厳しかかったため、父にも会えず、ソーシャルワーカーさんとの相談も電話でした。

通常であれば、転院の際は、家族も一緒に車に同乗して転院するので面会できますが、何かと規制があり…

父に会えたのは転院先の病院に到着した際のほんの僅かな時間だけでした。

その時の父の姿は、やせ細って、足は拘縮しており、目はうつろ、声かけしても反応がない状態でした。

入院時には、記入するたくさんの書類があります。
その中でも重要になってくるのが、DNARの書類。

読者さん

DNAR?

ちほ

DNARとは、「Do Not Attempt Resuscitation」の略です。

DNARとは、終末期医療において、心肺停止状態になった時に、昇圧剤の投与や心臓マッサージ、気管挿管、人工呼吸器の装着等による蘇生措置を行わないことを意味します。

看取りまで対応してくれる病院だったため、入院時に緊急時の対応や、心肺蘇生に関する意思確認が行われました。

ちほ

転院にあたって、母へ心肺蘇生を行うかについて聞かれると思うと事前に伝えてました。

読者さん

いきなり心肺蘇生の話をされても、どうしていいかわからず混乱してしまいそうです…

ちほ

母はかなり動揺してましたが、事前に伝えたことで、家族内で相談した上で転院に望むことができました。

もしも・・・に備えての「人生会議」って知ってますか?

ちほ

人生会議って聞いたことありますか?

読者さん

人生会議?

何年か前に、TVのコマーシャルやポスターで見かけたことがある方もいるのではないでしょうか。

人生会議とは、アドバンス・ケア・ プランニング(Advance Care Planning)の愛称です。

アドバンス・ケア・プランニングとは、もしものときのために、あなたが大切にしていることや望み、どのような医療やケアを望んでいるかについて前もって考え、家族や信頼する人たち、医療・ケアチームと繰り返し話し合い、共有する取組のことを言います。

死をタブー視するのではなく、人は皆いつか亡くなるということを受け止め、終末期だけでなく、認知症や事故などで急に自分が意思表示出来なくなった時にまわりの大切な人たちが混乱しないようにということも想定して、元気なうちから、もしもの時のことについて考え、自分の望む最期が迎えられるように普段から、定期的に話し合う時間を持つことは大切なことだと思います。

ちほ

『もしもの時』はいつやってくるかわかりません。

父親を「見送る」ときがやってきた

父は、認知が進み、意欲も低下し、食べる・飲むということも忘れてしまってたため、入院後、中心静脈カテーテルを挿入し点滴をしてました。

食べることが大好きだった父。

父は50代半ばで胃がんとなり、胃の亜全摘術を受けてたのですが、本当に胃切除したの?と思うくらい、みるみる食べられるようになっていき、体重も増え、胃がんだったのが信じられないくらいの食欲でした。

その父が食べれなくなるなんて・・・

胃ろうという選択もありましたが、管だらけになってまで生きていたくないと言ってたため、胃ろうではなく点滴を選択しました。

ちほ

いままで両親と最期のことを話してきたつもりでしたが、父とはあまり深く話せてなかったなぁと気づきました。

父が元気な時に話していたのは、痛いのと苦しいのは嫌だということ、うちは宗教とか関係ないから死んだら、その辺の海にでも散骨してくれればと話していました。

この父の言葉をもとに母と転院前に話し合い、胃ろうの処置や心肺蘇生などは希望せず、痛みと苦しみがなるべく少なく過ごせるようにお願いしました。

1ヶ月ちょっと前に、病院から母のもとに電話があり、低栄養・貧血がかなり進んでいるため、1度輸血をしたいと連絡があり、母は輸血をお願いしたと、わたしのもとに連絡が来ました。

この連絡を受け、だんだんと最期の時期が近づいてきてるなぁと感じ、母と弟にも、その旨を伝えました。

そして、ついに病院から「血圧が下がってきていて、尿量もすくなってきている」と連絡が入りました。
(なくなる4日前の出来事です。)

コロナ禍ということで面会制限がありましたが、1日2名10分であれば面会が可能なため、できる限り早めに面会に来たほうがよいとのことでした。

途中、病院の面会制限が厳しくなってしまい、病棟への立ち入りができなくなってしまったため、亡くなる前に面会できたのは2回のみ。

最期に面会した時は、わたしひとりでしたが、顔を拭いた時に、目をぱっちり開けてわたしのことをじっとみてくれました。

その時、父へのお願いをしたのですが、父はわたしの願いをきちんと聴いてくれていたようです。

ちほ

『人生の使命』という話を聞いていたため、父の死を混乱することなく「お疲れ様、いろいろあったけれど楽しかったね」と受け止めることができました。

おわりに

命あるものは必ず尽きるものです。

最期はいつやってくるかわかりません。

自分がどう生きるか?
QOL(Quality of Life)を考えていくのと同様に

自分はどのように人生を終えたいのか?
QOD(Quality of Death)

どのように死ぬか?

最期をどのように迎えたいか?


避けられがちな話題ですが、自分自身で考えてみるのはもちろん、家族と話し合ってみることも大切だと思います。

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